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つぶやき。。。 2011/02/27 [つれづれ]

  • t_matsu2t_matsu2医療者同士が監視し合うような方法は競走意識を高め、手抜き防止によい。ただひとつの欠点は、医療過剰傾向になりやすい事か。02/26 17:44

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つぶやき。。。 2011/02/04 [つれづれ]

  • wassseywasssey医療が専門化していくのは必然。でも高齢化にともなって専門への回避が発生してくるなら、そこに医療難民が生まれる。対抗できるのは教育しかないと思った。だから鎌倉にきた。すばらしい研修病院を作るためではない。

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つぶやき。。。 2011/01/23 [つれづれ]

  • wassseywasssey軍隊では計画遂行のため、上下関係の規律がきびしくなければならない。医療にもそういう側面はあるが、それだけではなく、一番患者のためになることを見つける手段を、誰かのツルの声ではく、科学的な見解に求めようとする。みんなが同じテーブルにつくのが理想と考える。

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つぶやき。。。 2011/01/17 [つれづれ]

  • wassseywassseyもしここで、常識的な勤務体系を主張し、叶えられたら、病院が継続するためと称する反患者的なことにも従わなければならなくなる。労働に見合わない報酬は僕らの強みでもある。

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つぶやき。。。 2011/01/15 [つれづれ]

  • wassseywasssey現代の医療は、古代からの叡知の積み重ねでできている。最新医療は人類の夢として一握りのひとが扱えばいい。それが幻想でないとわかるまで。

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つぶやき。。。 2011/01/14 [つれづれ]

  • wassseywassseyあらゆる医療職の中で医師がもっともその内容を制御されていない。 必要なカテゴリーや仕事内容は、損だと判断されると露骨に回避される。賢者にとってそれが当然だが、被害はすでに一般市民におよんでいる。

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あけましておめでとうございます。 [つれづれ]

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今年は一言でいってジレンマの1年だったように思います。

仕事量と仕事レベル、自分の人生と患者の安全、自分の仕事量と他の人の仕事量。

患者の人生と生命、コニュニケーションと指導 そのすべてが、どこかのバランスを見つける作業をいつもしていたように思います。

時に、罪の意識をおぼえたり、やりきれない気持ちになることもありましたが、結局自分にできることは、一生懸命やることと、自分自身の安全を守ることとのジレンマ。そして、やるからには自分の信じたことをやるしない。という最初からある答えなのです。最も大切なことは自分の存在価値。そして、もっともつらいのは十分なことができないこと。

 

この1年でもっとも学んだことは、正しいことをしているからそれでいいということではなく、組織全体を正しい方向に持って行かないことには、自己満足になってしまうということ。そして、その答えもやはり一生懸命やること。

ただ、一つ加わるとすれば、たとえそれが信じていることでも自分の価値観を人に押しつけないということでしょうか。

 

 

我々のやろうとしていることは本当はたった一つのこと、それは病院というものがこの世に必要だった理由と一致することなのです。

命は均等ではなく、その人や家族の価値観によってその重さが決まります。

ただ、すべての人が平等なところで、選ぶ権利を持っているはずなのです。そしてそれが我々の価値観と一致しないこともあります。

目的は正しい医療でもすばらしい医療でもなく、「しあわせ」ではないでしょうか?



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外来診療と卒後教育そして医療崩壊 [つれづれ]

外来診療について。
??-13.JPG外来診療とは患者さんの健康全般についての責任をすべて担うことと私は考えています。ただ、今の日本の医療環境はそれを大変難しいものにしています。

ひとつは、1次予防としての検査を、許していないというルール。そしてもう一つは、形のあるものを行わなないと、病院の収入にならないシステムです。
そしてあえてもう一ついえば、大病院指向でしょうか。

1つ目は、患者が訴えない限り、また、想定する疾患がない限り、検査を行ってはいけないという決まり。
抜け道はあるのですが、この決まりが、外来診療のみでは患者の健康管理が十分にできず、健康診断や人間ドックにたよるという結果を生み出しています。「私がみているのは高血圧ですから、それ以外は健康診断でお願いします。」こんな言葉、本当は主治医から聞きたくないでしょう?

2つめは、1つめとは逆に、検査をしなければ病院の収入にならないという制度。
この制度が、患者が訴えれば、必要のない検査まで行うことを寛容していると感じることが時々あります。先ほどの「抜け道」はいくらでもあり、結局は医師の裁量に委ねられているのです。

逆もまた偽なり、のようになっていますが、それではいったい何が正しいやり方なのでしょうか?


外来診療において、病院にとって最も必要な医師は、1日50人以上の患者さんをみて、問題がありそうならルーチンで検査をおこない、もしくは他の医師にコンサルト。それ以外のあぶり出しは人間ドックを受けてもらい、投診療は、保険診療の範囲内ですべてを終わらせるような人だと想像できますが、これらは今のシステムに即した(屈した)結果であって、最も患者にとって必要な医師ではないと思います。

患者にとってベストな健康管理とは、この医師に任せておけば、自分の健康管理は安泰であり、最低限のリスクとコストで自分の健康が守られる事ではないでしょうか?

よって、外来診察医に必要な技量(教育)は「よく話しを聞き、問題点を拾い上げ、また、診断を身体所見までで、できる限り鑑別をしぼり、最低限の侵襲とコストで問題をマネージする能力。」であると信じます。


それを遂行するためには、相応の”時間”が必要なことは容易に想像できます。ところが現実は外来診療の時間は短く、病院を希望するひとの数は尽きず、常にぎりぎりのところでの時間と内容とのせめぎあいになっているのです。

そしてまた、大病院指向を生み出す原因は医師が医師としての技量のレベルが低いために生まれた、検査至上主義/専門医至上主義が原因になっていると私は考えています。

そして、患者の負担を減らす努力は結果的には、病院の収入にはマイナスの結果しか生まず、そう意味での評価が下されないままなのです。
このことが診療レベルの低い医師を寛容して、また、専門性にすぐれた医師こそがレベルが高いという風潮を生み出していると感じます。

そして、、診療時間を増やすことで患者負担が減るのならば、診療時間に応じて収入が増えるようなシステムがよいのかもしれませんが(欧米ではそういうシステムがとられています)日本では難しく、結局内容が伴わない長い診療時間を寛容することになりかねません。

結局は卒後教育(特に外来教育)がしっかりしていないから、医師としてのスタンダードが築かれず、厚労省とのイタチごっこが患者の利益の外で繰り広げられているのです。

存続が至上命令の病院。専門医指向に走りすぎる医師の指向。膨れ行く医療財政、これらに対応すべく医療費削減を数字ベースで行う厚労省。これらを医療崩壊とひとはいいます。目先の対応で患者に不利益を与えている現場をなんども我々は目にしています。
(3ヶ月病院間ローテーションはその最たるものです)

患者の利益を損なわずに医療費を節約するためには、卒後教育がひとつの大きなカギを握っていると信じます。このことが、一度専門の道に入ったあと、generalの世界に帰ってきた理由です。

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DO NO HARM [つれづれ]

常々思うのですが、医療の世界において、日本人はいわゆる”先進医療を大学などが始めて、こりゃ効いたっていって、他のものたちを引っ張っていく。

それに対して西洋人は理屈はともかくやってみて、ある程度の証拠がでないと飛びつかない。そして、みんなで一律にやろうとする。

 

このことは急性膵炎の動注にせよ`敗血症のMTXにせよ、多くの例でいえることですが、これには、2つのことが影響していると思います。一つは日本はまだまだ医療費がやすく、高価な医療もいつの間にか保険が通ってしまっていたりすること。

 

もう一つは医師患者関係はいまだにパターナリズムが息づいているからではないでしょうか?まだまだお医者様がたくさんいて、医療者優位が展開されているのではないでしょうか、そんな中だから、ある意味実験新しい治療に置き換えられてしまっているのではないでしょうか?それにたいし、西洋の患者さんは権利意識が医療に対して強く、うかつなことはできない、っていうこともあると思います。

 

多かれ少なかれ、西洋であれ日本であれ、医療の進歩とはそういうものなのですが、、我々市中病院で働くものは、十分証拠のできったものを使うのが義務であると考えています。

そして、そのほうが安全性が高いと思っています。

DO NO HARM

 

 ※グラム染色 安上がりの検査では報酬が出ないしくみ?逆にすべきでは?

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病院がするべきこと [つれづれ]

病院の成果ってなんでしょうか?
病院に勤めていない人は、、そんなの簡単!病気や怪我の人を治すとこだろうっておっしゃるでしょう。僕もこの職につくまではそう思っていました。

この世界に入って最初に気づいたのは、病気を治すことだけではなく、死を迎えさせてあげること自体も我々の大切な仕事であることでした。
それから、病気を治してあげられなかっとしても、癒してあげることも出来るし、しなくてはならないと思うようになりました。
それから、これからの日本の医療に、必要とされる医師を育てることも自分の指命だと思うようになりました。

僕にとって病院の成果とはこの4つまでで、これ以上のものがありません。
高齢化 そして医療費の高騰にたいして厚生労働省はいろんな手をうってきていますが、医療の手不足とともに、大きな問題となり、いろいろな、いたちごっこが繰り広げられています。

私個人としては医療の質を落とさずに医療費を抑える方法は”各医師の意識の問題”という結論に達しています。厚生労働省はどう考えているのでしょうか?
医薬分業を徹底させて、医師に”変な”お金が入らなくなったのはよかったのですが、以前のような報酬がなくなって労働だけが残った医師は結局、寛容されてきた、”制限のない勤務時体系”に耐えられなくなってきています。その結果、患者を制限することが、慣用となっているのです。自分たちの力の範囲内で診る事が原則なのですが、僕にはどうも医療の供給自体がとっくに需要を上回っているようにしか思えません。

厚生労働省は、医療費の安さマイナス面として、そして医療費を抑えるために、病院から患者を外にだすために3ヶ月以上病院に入院していると、病院の報酬が少なくなるシステムにしました。この”対策”としてグループ内で3ヶ月ごとに患者さんを回していたりするのですから、それこそ本末転倒で、最も被害を被っているのは、患者自身なのです。

在宅医療に持って行く方針も結局、勤務の無制限労働を開業医に持ち込んだだけ、うまくいくはずもありません。
この国の刹那的ないたちごっこ医療はいつまで続くのでしょうか?

今一度、病院が建てられた理由を僕らは考えるべきなのではないでしょうか?少なくとも、利益を上げて生き残るためではないはずです。

利益を上げるために患者を犠牲にしなければいけないとすれば、病院の存在自体が疑問に思えてきませんか?また、それとも医療制度が悪いのだからと開きなおるのでしょうか?

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