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こだわりが成長させること [今日話したこと]

首が痛くで熱のあるひとに造影CTを撮ったらしい。
なぜ撮ったかときくと、「首の発熱精査のためです」という答え。
ところが首の痛み→糖尿病→首のspine tendernessであれば鑑別はMRIでしか診断がつかないものがターゲットとなる。
この知識がなかったとしても、その場で調べれは用意に教えてくれる資料はネット上にも教科書上からもたやすく早急に入手出来る。つまり、そのこだわりがなかったということ。

もしキミが発熱精査のためにCTを撮ります。程度の思考で検査をする習慣があるのなら、検査で所見が見つかったとしてもまるで天から降ってきたように感じるだろう。
検査をすれば天から降ってくる。するとますます検査の閾値は下がっていくだろう。いつもなにか当たるかな?で検査を出すということは、どういう患者ならどういう疾患の可能性があるか?どの検査がどの疾患に対してどれくらいの診断力があるのか?という知識の鍛錬も必要なく、ただ読影力のみが必要となるのだろう。そして検査がなければ診断できないどころか、検査をセレクト出来ない医師になっていく。
疾患によって病歴 身体所見 検査所見 画像所見のなかでも影響を及ぼす割合が違いそれを把握しておくことでも診断により近づくことが出来るということも重要で、画像優位検査優位の疾患には強いが頭痛など神経疾患のように病歴や身体所見が優位な疾患が苦手になっていく自分を感じたらそのことを思い出して欲しい。

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先生と呼ばれる訳 [今日話したこと]

本日入院患者が発熱。UTIが疑わしい。尿培血液培養を採取することになった。
しばらくして、血液培養を拒否されているので採らなくてもよいでしょうか?との質問。
「採らなくてもよいかどうかとキミと患者さんとの話合いとの問題であって僕は関係ないから自分で考えてください。」と突っ放した。

喘息発作が治まらないが帰るという患者。手術を拒否する患者。胃瘻を造設するかどうかなど、そんな場面にこれから何度となく経験していくことになる若い医師にこの簡単でないジレンマに触れて欲しかった。

そもそも医療の他のサービス業との違いは最終的な結果が患者側に理解しにくいことであり、そこまで医療者が責任をとることである。医療以外のサービス業ではその場の満足がすべてであり、その目標は提供側と受ける側が一致している(はず)だからといって医療者がよかれと思うことを貫くのでもなく、当然患者側の主張をすべて受けれるのでもない。
最終的にどうすれば患者がハッピーとなりうるかがどこまで予想できるか!?それをどこまで引っ張っていけるかそれが医師の使命だと考える。しかもそれは医学的な問題のみにとどまらず、その患者の精神状態、人生観、価値観をも考慮した上での判断となるのである。

喘息で帰宅すれば死ぬかもしれない人、死ぬことよりも大切なことが自宅で待っているのか?はたまた医療を信用していないのか?単に楽観的なだけなのかそれらをすべて考え、できる限り理解していただいた上での決断となるのである。

恨まれるかもしれないところで患者さんのハピネスを主張するところがこの仕事の渋いところだと思ったりする。


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さきほどから何をしているのだね? [今日話したこと]

昨日救急室から入院した人がいるが診断は肝膿瘍というもの。
研修医が下調べしているが、さっきから5分ほどCTを眺めて、首をかしげている。
「さっきから何をしているんだね。」
「いえ、肝膿瘍わからないなぁと思って」
「どんな患者さん?」ときくと、「ええと、、」とカルテを見直す。
この患者は66才で直腸癌の手術後。その転移で5ヶ月前にPDを受けている。発熱で来院したのだが、
つい1週間前に来院していたときのlaboは問題なかった肝機能が今回は上昇している。
PDとともに肝臓切除しているためか膿瘍の読みは難しくなっている。

若いドクターにはわかりずらい話かもしれないが、画像所見の結果の特異度はそれぞれの疾患、そしてそれぞれのケースによって違う。感度も読影者によってもかわる。

自分の読影力がないだけが診断ができない理由ではないのだ。ましてやPD後の肝切後非常に読みにくく特異度も感度も落ちてしまう。だがその反面、検査前確率は俄然上昇していることを臨床推論の情報にいれているだろうか?診断できなければ致死的となりうるもの、ある程度overdiagnosisになることも許されるのではないだろうか?
君たちは他のドクターのカルテを見るときそれをなぞってみていてるだけでは、全く意味がない。画像の勉強ならまた教科書をよんで見直せばよい。このドクターが造影CTまでを決断した思考は何だったのか?そしてそれは正しかったのか?自分ならどうしただろうか?そして次にどう生かせるだろうか?そういう問題意識を持ってカルテの奥の方を読んでください。

結局除外診断的に、ここじゃないかなというところを肝膿瘍と判断して治療が開始されていた。
また、放射線科の読みは別の所を指していたことを付け加えておこう。

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プレゼンに王道はない。 [今日話したこと]

本日初期研修医向けにレクチャー的なものを行なった。
プレゼンがわからないという要望があったからだが、どこまで伝わったか不明。
ただ、気のせいか今日のプレゼンはよかった。
もっとも強調したのは症例を伝えるのではなくて君が何を考えてどうしたかを伝えてくれ!
君たちを評価出来ないし、評価ができないと指導もできない。という内容である。

〇カンファレンスを行う意味
救急からに限らず、いろいろな病院でカンファレンスは行われている。
多くの頭脳が集まれば、いい結果がでるかもしれないということであろうか?

船頭多くして船乗り上げるという意味のことわざもある。
 コンセンサス
  では、なぜわざわざ集まるのか、ひとつは病院としてのコンセンサスをとるためという考え方がある、そのときの一番声の大きい人が、(たいていの場合その専門医)その疾患についての診断や治療についての主導権を握ることになる、専門外医師は例えば新しい知見が出ていても、それに従う方がスムーズにことが進むことを知っているし、専門医は常にその道の最先端をしっており、信頼されている必要がある。

 ただし、病院全員があつまるわけではなく、そのあたりは少しずつずれてくることになり、そうなると普段カンファレンスに参加しない専門医と、そのほかの医師との距離がどんどん離れてくる。最悪悪口の言い合いになることもある。
そのあたり補助としてレクチャーが開かれたり、研修医が伝達係になったり、緩衝剤になったりする。
 
 ヒトの病気というものは完全に各専門医に分かれてしまうものではなく、それぞれの科が専門で見ている人も専門外のことを持っているそれをそれぞれの専門家にいちいち投げていては効率が悪いと考えるのが必然。またどの科にも入らない事もある。例えばその病院にない科や、感染症。さらに、診療に関する哲学はすべてに医師に共通に存在するものであるが、それぞれが当然違うわけで特に死生観などもそれぞれの考え方をもっているものだろう。日本の場合市中病院の医師確保が大学に依存している病院も多く、この場合は医局が違うという障壁が分かり合いへの妨げになることがある。そんななかでいろいろなことがらについてお互いの考えを知るためには、Face to Faceが不可欠ではないだろうか。
 評価(個人)
 では普段の診療にたいする考え方はどうだろう。残念ながら日本の大学教育においては、診察の考え方(臨床推論や医師・患者関係など)を実践的に学んでいる例は少ない。(と感じる)国家試験自体がそういう形式をとっていないこと(とれないこと)も原因と思われるが、特にもっとも医師の力が必要である部分の診断についての考え方は検査依存になっている観を否めない。検査技術や読影技術が決定打となるためであろうが、それまでの過程があるからこそ検査結果が生きてくるというところがもっとも難しいところで、clear cut にいかないところなのだ。そのため、客観的な結果に負けてしまうことがある。その考え方の道筋を導くことが、若い医師にとってもっとも必要なことだと私は考えており、朝のカンファレンスはそのためにあるといっても過言ではない。「その患者にその診断がつく過程でどのように君は理論を組み立てたのか?」ということである。よくわからなかったのならばわからなかったで、それをも示していただかないと、なにも評価出来ず、つまりなんの指導もできないことになる。(1) どんな症例か、教えてくれればその症例についてお教えしますよ。(2) さあ!あなた方の診療が正しかったかどうか審議しましょう!のどちらもカンファレンスの第一の目的ではないと考えているのは私だけだろうか?
 カンファレンスでそれぞれがプレゼンすることがどういう意味を持っているのか?その意味についてコンセンサスをはかることが、カンファレンスの時間を有効に使う第一歩であると考える。
 〇フルプレゼンとショートプレゼン
 フルプレゼンでは、この疾患にこの診断をつけるにあっての重要な情報のみでなく一見関係ないかもしれない情報も含まれることがある、そこをフラットにのべることにより、担当医の考えた診断や治療の正否までチェックする可能性がでてくのだ。全部伝えてあとはゆだねればよい。ただし、出来るだけ伝わる工夫は必要になるが。
 ではショートプレゼンはどうだろうか?これはこの患者にこの診断名をつけた理由(治療を選択した理由)を順をおって理論的に説明することである。現病歴、身体所見、家族歴、血液検査 それが何かの否定のためであったり、診断のためであったりするが、それらすべてに担当医の考える理由があるはずなのである。その理由を追ってどのように診断したかを説明するのがショートプレゼンと考えている。だから「頭痛が非典型的だったのですが、どうしてもSAHを否定できずCTを撮影しました」はアリなのである。そこを「頭痛は拍動性で以前からありました。CTを撮ったところ、、、」とプレゼンされると、ここは突っ込まざるを得ず、担当医の考えは不明のままになる。
 自分の思考が飛躍した論理なのかどうか上級医の意見を聞くことができるのが教育病院だからこそ許されることなのである。肝心なのは「キミがナニを考えているか」であり、「すばらしいプレゼン」をすることではない。でなければ教育(成長)の機会は失われるだろう。
「熱原精査のために胸腹部のCT をとりました」がゆるされるかどうかは個人の意見によるのかもしれないが、これが堂々とまかり通るとすれば病院自体の教育のレベルを問われることになる。
患者の安全のため、という免罪符のもとに検査テネスムスを許していれば、せっかくの学びの機会を逃させることになる。
 
〇例(現病歴)
以下はすべて同じ患者だが、A.B.Cそれぞれの医師が得た情報の違いでなにが変わるのか考えてもらった
つまり、病歴聴取は型どおりでは診断に近づけないことがある。医師の成長はここに現れる。ということである。

  医師A;61才の男性主訴は腹痛、
昨日からの左下腹部の痛みで来院痛みは間歇的食欲はあります、
本人は至って元気、圧痛もなく、腹膜刺激症状もないので、一旦帰宅とした。

    医師B;61才の男性昨日CSを施行終了後から左の腹痛が始まり、おさまらないため来院した。採血でCRPの上昇もなく腹膜刺激症状もなく点滴にて痛みは軽快したため一旦帰宅とした。

   医師C;61才の男性、昨日大腸内視鏡施行下行結腸にポリープがあり切除を施行その後から左下腹部に痛みが始まり帰宅後も持続的に痛みがあった。食事も食べられず来院した。
 
 考察
医師A;は腹膜刺激症状がなく、痛みが軽度ならば重要な原因は否定と考えた。
医師B;はポリープ切除のことは知っていたが、そのため痛みと考え、CRPも上昇していないため問題ないと考えた。
医師C:はポリープ切除で痛みが残ることはあり得ないことを知っており、切除したところが痛いいのであればruptureが疑われ前処置しているので症状が強くないだろうことも予想できた。

 
〇テクニック
プレゼンにテクニックというものは確かに存在する。
ただし、上記の例からもわかるようにマニュアルは最低限のことであり、わざわざ"修得"するために努力するほどのことではないと考える。決められた順番に情報を簡潔にしっかりとわかるように述べることである。順番はいろいろな書物にかいてあることである。
 ではなにがむずかしいのか、たとえばフルプレゼンであれば得られた情報を順番に述べるだけなのであとは発表の声の大きさ抑揚の付け方のみである。問題はどんな情報を収集したかである。
 念のためマニュアル的情報収集を示すが 想定疾患に基づいた情報収集がこの後に続くことになりこれが医師の力をもっとも示すものになるし、これから初学者が学んでいくべき所とても書き切れるものではない。
【ID】イメージがつくように
【主訴】2つ以内に SQの話はしていない

【現病歴】【ROS】【既往歴】【家族歴】【生活歴】【バイタルサイン】【身体所見】【胸部写真 心電図】【検査所見】【特殊検査】【プロブレムリスト】【評価】【プラン】【経過】

〇痛みの問診 : どどいつ  ジリ貧  恐怖(オリジナル)

ど:どうされました?どんな痛みですか?

いつ:いつはじまりました?

じ:時間はどれくらい続きますか?

り:理由今日いらしたきっかけは?

ひん:頻度はどれくらいですか?

きょう:強度 どれくらいの痛みですか?

ふ:付随する症状 ; 随伴症状 



LIQQOR-AAA(有名)

 WPDWF(オリジナル英語版)

When didi it start   H  Discribe it what makes you.

Point your pain

Discribe your pain

What makes your worse

Folloiwng symptom

OPQRST



● 今日のカンファレンスでの内容
○ERカンファレンスをしている理由は?

評価、向上、コンセンサス(予想どおりコンセンサスはでなかった)

○それぞれ2つ(個人評価と症例の評価)

○プライオリティ(個人評価をもっとも大切にしたい)

○よいプレゼンとは?(やはり症例をキチンと伝えることという意識が高かった)

○何が明快

○過程 結果 計画

○フルプレゼンとショートプレゼンの違い(ショートは最短距離で伝えるという意見があった、そのためにはロジカルな裏付けがしっかりしていないといけない)

○テクニック

強いて言うなら、定量的に 時系列 SOAP はひとつのくくり すべての情報に存在理由がある。

○例(納得かな、結局知識経験で問診も上達すると診断にも近づくという例)

○困ること

止まる。聞こえない。情報が少なすぎる。情報が多すぎる。理論が、飛躍する。

○疑問(時間切れ)

 




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NNEを小さくするということ [今日話したこと]

君たちがプレゼンをするのは、結果を共有するためではない。こんな時どう考えて、どうしたかを明らかにして次に役立てる術と学ぶべき事を共有するためだ。

それがわかっていないと「主訴」「現病歴」がおざなりになり、「身体所見」も画一的なものになってしまう。

我々オーディエンスは年齢主訴性別というキーワードだけ多くのことを、想定して準備している。

昨日の意識障害主訴の86才の方だが、JCS1-3で来院され、奥様がその場にいたのに、現病歴がトイレにいって帰ってきたあとに返事がないから救急車コールそのあと意識障害の鑑別を一通り行ったが、原因不明のまま入院となった。

しかも初回のABGがHCO3-が10.9 CO2 が19.8で1時間後の再検査が正常にもどっていたCKが高値とくれば痙攣していたかのようなLaboだが、実際意識状態が悪化したときの状態いかんではlabo error なのかもしれない。

つまり、意識障害からAIUEOTIPS坊主めくりを繰り広げたということか? (^_^;)

結局神経内科医が詳しく奥様から話しを聞いたところ、食事を摂ったあと、薬も飲んだが20分ほど目を離したあと、右手が動かなくなっていた。その後返事をしなくなったということで来院。入院後に MRIを撮影したところ左の中大脳動脈領域の脳梗塞であった。

今回は「意識障害」「代謝性アシドーシス」「来院時麻痺なし」「意識も少しずつ軽快」にかなり引っ張られたと思われる)

力がないうちはNNE(Number need to Examination)を大きくとることは、致し方ないが、経験を積むうちに、NNEを小さくしていく努力をする。そしてそれは、リスクを伴うから特異な経験に負けそうになる。そこで それがどれほどレアなのか、それとも考え方を改めないといけないのか。エビデンスに照らしながら調節することになる。

意識障害よくわからい→MRIと学ぶのか、情報が足らなかったためにMRIにたどり着けなかったと学ぶのかで、医師としての質が大きく分かれるのではないだろうか。


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