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臨床は教科書よりも奇なり [今日の出来事]

  昨日朝研修医の症例発表で脳梗塞のプレゼンテーションで来院した人が大動脈解離であった話をしていた。脳梗塞なのに血圧が低めであったり胸痛背部痛、血圧左右差などをヒントに考えるというおなじみピットフォール。

  同日胸痛ACSのプレゼンテーションでくる解離の話を研修医達にした。これもよくあるパターンだ。

  そしてその日の当直、プレショックで来院した人が心タンポナーデCTを取りに行く寸前で左手の麻痺が起こった。
ところが造影CTでも解離は否定。冠動脈も小さいところがつまっているのみ。しかもMRIで急性のmultiple infarction! 心嚢液は翌日には消えていた。

  日常は教科書にはめられない。

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マイナスのようなプラス [つれづれ]

胸部不快感で来院した方がⅡ Ⅲ aVf でST上昇している。この人に解離除外目的でCT を撮るということは適切であろうか?そしてそれは単純なのか?それとも造影なのか?

もちろん答えはない。合同のカンファレンスなどで、私がいつも言いたいことは、検査をする理由を常に考えてほしいということであり、その適切性ではないつもり。どうしてその検査をしたのかが即答できないこと、が問題であって、それ以上を追求しないつもりではある。



当然解離は致命的な疾患であり検査域値は下がる。単純CT 自体は比較すればほとんど侵襲はないと言える。

それに比べて造影することでかなりのリスクがあがることになる。



昨日のカンファレンスでは造影のリスクがあるからよく考えろと言われ、

今日のカンファレンスでは除外目的なら感度をあげる必要があるだろうと言われ、研修医もどうすればよいのかわからなくなっているようである。



要するに、否定することが目的の疾患なら「どのくらい」疑っているかが必要であり、「思いついたから」という基準では、一貫性も科学性もなく、教育性もない。

想起を促すものには 血圧が低い?高い?胸痛 ,Ⅱ Ⅲ aVf などがあるが、どれも感度、特異度の高いものではない。

そこを赤信号みんなで渡る的に理由が明確でない検査 をゆるすことは病院のレベルをも止めることになると考える。

否定するためにはどれほどの情報がそろえばよいか?そんなものわからない。結局その場の担当医の判断なのだが、検査のリスクとのトレードオフをするからには「どのくらい」疑っているかが分からなけれできない。ステレオタイプの思考では、医療安全的な要素があるように思われるが、それは医師の思考を蔑んだものと考えるし、若い医師の成長を妨げるものと思われる。

致死的な疾患を見逃さないという厳しさもあれば、出きる限り自分で判断できる医師を目指すという厳しさもあると私は考える。それは、すっきりと表現できない分、タブーのように扱われていたりする。



「血圧左右差もなく、年齢も48才、Marfan体型もありませんでした。症状も以前からあり、労作で悪化安静で悪化するということを繰り返し、今回はその症状が安静で収まらないので来院したという、いかにも心筋梗塞と思われ、解離は否定的と思われたのですが、どうしても心配でCTを撮りました。」という理由をわたしは 否定はしない。しかし、解離が否定できないなら撮るしかないでしょう!という発想は、診断学の崩壊である。また、いずれにしても、単純ならば、ただの「免罪符」やるなら造影という「覚悟」が必要ではないだろうか?
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CRP論争(ブログついに再開)

なぜCRP ばかりがとりだたされる理由を考えてみた。実際はすべての検査について言えること。つまり検査の結果に振り回されてはいけないというだけのことなのに。
個人的に考えるには、CRPの正常値が1以下であり10や20まで上がることがある。このことは非常にインパクトがあります。もしCRPの正常値が5以下でどんなに上がっても10程度まで位であれば、他の検査と同じように扱われていたかもしれない。もう一つの理由は欧米であまりこの検査が重要視されていないと言うこと。日本では医療も例外でなく欧米から学んでいるため、あちらの言うことは基本的に正しいという気風があり、欧米帰りの人は日本の医療の相違点として目立って見えてしまうのだと思う。
もう一つはこれは自分への戒めもふくめて手厳しいかもしれないが、日本の医師の臨床力が平均して低いのではないだろうか?最終的に自分で判断できず、客観的(に見える)数字や結果に結論を委ねる傾向はことあるごとに見せつけられる。CRP はその最たるものではないだろうか。
我々の意志決定は人間が決めるのである!そこには常にジレンマが存在し、テストの答えのようにポン!とでてくるものではないのだ!
例えば小児科でCRPが高いので抗生剤を使ってください。に対しでフォーカスがわからないので使いません。という事例があった。
CRPが高いからといってイコール抗生剤でないというのはもちろん正論で、CRPが高いから抗生剤を使ってくださいは間違いではある。抗生剤を使うデメリットももちろんあり、CPR 以外の根拠がないのに患者にデメリットを与えるのは医師として科学性に欠ける行為と考える。
では、抗生剤を使わない根拠はどうなのだろう?本当に抗生剤を使わない事で自信をもって患者が安全といえるには使わない根拠も必要と考える。それはそのまま主治医の力量ともいえる。
では使う根拠も使わない根拠ないときはどうするのが正解なのだろうか?
抗生剤の副作用は未知数。今の日本では使う事が許されている。とすると、それこそ主治医の裁量でトレードオフで決めることなのではないだろうか。つまり、使うことも使わない事も、どちらも正解かもしれない。としか言いようがないと思うのである。
ちなみに私の赤ちゃんがCRPが少しだけ高いのでNICUに入って、抗生剤を使います。と担当医から丁寧が説明を受けたとき、「それは抗生剤の副作用で我が子が死ぬかもしれないというリスクに見合ったものなのですね」とはいわずただ、「わかりました」とだけ言った。私自身は医師だが患者の家族としては主治医に命を預けている。主治医を問い詰めることでおこる医師家族関係のゆがみの方が結局患者にとってよくない結果を及ぼす。というリスクが抗生剤をつかうリスクより勝っていると考えたからだ。
ただ未だにその時抗生剤の副作用で子供が死んでいたら、、自分がどうしただろう?という問いへの答えは出ていない。

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