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怒る教育 [つれづれ]

ずいぶん前、研修医反省会にて先輩に怒られたので私は成長できました。という意見がとても多かったことに驚愕した覚えがあります。あの時、怒る教育に反旗を翻していた時期だっただけに尚更でした。

厳しく指導とはまた別の話なのかもしれないが、それすら私は拒否したい。それは、 課題の分担と思っているから。自分のことは自分で育てるべきで、モチベーションまで責任は取りたくないと決めているから。



そういう反面、スポーツでコーチのもっとも必要な側面はモチベーションを高めること。なんていう話に賛同したりもしている。



また 事実、戦前戦後の日本水泳があんなに強かった原因が スパルタ的な指導が原因だったのだろうと思うし、(岡ひろみのような素直な人が伸びた時代?) その後衰退した理由もまたそのスパルタ教育によるものだろうということを目の当たりにした自分もここにいる。周囲の環境が最も影響力があるということか? 。。



では、最近の私は なぜ怒ってしまうのか?やはりそれは、こうさせたいという欲からくるものであることは明白なのだが、同じ内容を 1ヶ月言い続けて、それでも違う方法を取られる、で、今までは柔らかく言っていたが、強く言ってみる。すると翌日からできるようになる。

このことも、事実の1つである。



本当にこの方法が利益があると考えたら、自ら変えてくるはず。という彼に対する構想と実際のギャップに、わかったと言ったじゃないか!的な要素も加わっているのだらろうが、、



冷静になって考えてみると、自ら行わないということはやはりきちんとわからせていないということに気づく。

力ずくで従わせても、結局は身につかない。怒り損怒られ損どころか、怒り加害怒られ被害である。

動機すらくじくことになる。

あんまり根気よく、繰り返していても、耳にタコつまり思考制止になる。



わざわざ失敗させてほうらねというのもまた抵抗力を作る。



ここでの解決もやはり、聞くことなのだろう。相手を知らずに、わからせることはできない。これは世の常。

結局自分にできることは、悪い環境にしないことぐらいなのかもしれない。

対人的には対等に付き合うこと。(これがなかなか難しい)

最近は何かを掴んだ感じを得てもらうとしているが、これすら自分のためなのか彼のためなのかわからない。



そんな改めて成長していない自分を感じる今日この頃。
















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