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先生と呼ばれる訳 [今日話したこと]

本日入院患者が発熱。UTIが疑わしい。尿培血液培養を採取することになった。
しばらくして、血液培養を拒否されているので採らなくてもよいでしょうか?との質問。
「採らなくてもよいかどうかとキミと患者さんとの話合いとの問題であって僕は関係ないから自分で考えてください。」と突っ放した。

喘息発作が治まらないが帰るという患者。手術を拒否する患者。胃瘻を造設するかどうかなど、そんな場面にこれから何度となく経験していくことになる若い医師にこの簡単でないジレンマに触れて欲しかった。

そもそも医療の他のサービス業との違いは最終的な結果が患者側に理解しにくいことであり、そこまで医療者が責任をとることである。医療以外のサービス業ではその場の満足がすべてであり、その目標は提供側と受ける側が一致している(はず)だからといって医療者がよかれと思うことを貫くのでもなく、当然患者側の主張をすべて受けれるのでもない。
最終的にどうすれば患者がハッピーとなりうるかがどこまで予想できるか!?それをどこまで引っ張っていけるかそれが医師の使命だと考える。しかもそれは医学的な問題のみにとどまらず、その患者の精神状態、人生観、価値観をも考慮した上での判断となるのである。

喘息で帰宅すれば死ぬかもしれない人、死ぬことよりも大切なことが自宅で待っているのか?はたまた医療を信用していないのか?単に楽観的なだけなのかそれらをすべて考え、できる限り理解していただいた上での決断となるのである。

恨まれるかもしれないところで患者さんのハピネスを主張するところがこの仕事の渋いところだと思ったりする。


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