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否定できない地獄と病気のヒトジチ [つれづれ]

今日のレクチャー脳外科の先生くも膜下出血は難しいという話であったが、プライマリで見るものの難しさや、この世界の不確実性を認めながらの非常に共感できるレクチャーであった。
ただその反面やはり我々は、病気というヒトジジをやはり背負ってやっていくことの難しさを考えざるをえなかった。

死ぬかもしれない疾患かもしれない時、その可能性はどれくらい低ければ我々は 大丈夫といってよいのだろうか?それでも患者サイドが「本当に大丈夫ですか?」に自信を持って答えることができるのだろうか?この”否定できない地獄”に対し我々は対抗する力を持っているのだろうか?
NNE= number need to examinationがもし測れるとしたら、でもそれが1万だったら、”その”患者さんは死んでも許してくれるのだろうか?

結局我が日本では、この「否定できない地獄」に医療者が対抗できないという現状が、医療費高騰を引き起こしていいるのではないだろうか?
では患者のためを思うのであれば、頭痛ければ必ずCTを心配ならばCAGをとすればよいのではないだろうか?事実最終責任を持つ専門医はそうせざる得ないのが現状のように感じることがある。
少なくとも研修医はそんなことしていたら医師として「成長できない」という理屈なら通る。
また可能性が低いものの検査をただただ 判断を迷わせるだけという理屈もある。
もし、NNEが10000を越すような場合を標準化できるのであれば、それは許されるという 病気のヒトジジに対する対抗策にコンセンサスができればそれが逆に日本の医療を救うかもしれない。” 正義 ”とは別の次元で、、
実際はどうかというと、そのグレー部分は医師ー患者関係という油によって埋められているのかもしれない。絶対的な責任を持って医療を行って知る人がいるとすれば、それば邪道に映るであろうが、常に100%が得られないのならば、突き放した挙句の結果が最悪ならば不幸なのは患者 医療者の両方である。

このようなヒトジジに払う身代金には物言いができないのはわかるが 、ただ結果的に医療費を使ったものだけを責める今のやり方は明らかに問題と思われる。その内容ではなく、金額の多さに言い訳をしろというそんな場わたり的なことで、医療費が削減できると思っているのはどのバカモノで無責任者なのだろうか ?

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