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客観?主観? [つれづれ]

「 使用した主婦の98%が満足と答えています。」というコマーシャルを時々見かけるがいったい何%の 人が、このわざとらしい、バイアスの塊のような キャッチフレーズをポジティブに受け取るのだろうか?
そして このようなCMが21世紀になっても続けられているということは、一定の人たちには受け入れられているということであろう。

会社のマーケティングの報告などはどうだろうか?きっと「データで示したまえ」的な言葉が飛びかっていると想像するが、その「データ」の信頼性をきちんとと証明することは意外と難しいのではないだろうか?ちなみに昨日みたビデオのなかで「僕があるソースから得た情報によると 、、」に対して「それトンカツソース?オイスター?」というツッコミがあった。(笑)

私が子供の頃は世界は相対性理論で出来ているなどと思っていた。「神はサイコロを振らない」と、、。ところがボーアに破れ、世界はもっともっと混沌とした、人間の手の届かないものだと考え直したものだ。
しかしガリレオから もっと以前から人間はこの複雑な世の中を数字を使って切り取る方法を編み出し、それにより凄まじい発展を遂げてきたのも事実である。

我々は大自然の根本をとらえることが出来ず、フレームを作りそこに当てはめることで数式→コンピューター を使って応用範囲を広げ、自動化し、利用してきた。そして医療 に関して言えばそのフレーム自体がもっとぼやけている。

医学はその性質上” 演繹的 ” にしか結果をだすことが出来ず、骨組み(根本)からの理論と 統計的 ” 根拠 ” との 相違点も多いのだ。フレームを作っては壊し、また結果が期待できるフレームを発展させていく。小さなフレームがその個にあっていたり、大きなmassこそが真実に近かったりする。そんな繰り返しはこれからも続くのだろう。
それで、そんな迷いの森に入り込んだ時、客観的なものにすがりたくなるのかもしれない。
「 私は こう考えます!」 とは言えず、「 検査結果がこうだから、納得してくれませんか?」 となる。このようにして日本の医療はまるでより確実そうなものを追うばかりに 、より迷宮にはまってしまったのではないだろうか?

客観的っぽい結果は、当たればそれは確定診断となり、それ、周囲を説得する強い武器となるのだが、その結果の評価を誰もできていなかったりする。「 結果が出ているのだからみんなで賛成すればそれでいいではないか、」では真実に近づくことはできないと信じる。
検査の結果は一つの情報。大切なのは患者の身に何が起こっているか?そしてもっと大切なのは結果が最良(であった) か?
H&Pの必要性の理由としてどうであろうか?
そもそもDNAがなぜ作られたのかを我々は知らないのだから。








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