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マイナスのようなプラス [つれづれ]

胸部不快感で来院した方がⅡ Ⅲ aVf でST上昇している。この人に解離除外目的でCT を撮るということは適切であろうか?そしてそれは単純なのか?それとも造影なのか?

もちろん答えはない。合同のカンファレンスなどで、私がいつも言いたいことは、検査をする理由を常に考えてほしいということであり、その適切性ではないつもり。どうしてその検査をしたのかが即答できないこと、が問題であって、それ以上を追求しないつもりではある。



当然解離は致命的な疾患であり検査域値は下がる。単純CT 自体は比較すればほとんど侵襲はないと言える。

それに比べて造影することでかなりのリスクがあがることになる。



昨日のカンファレンスでは造影のリスクがあるからよく考えろと言われ、

今日のカンファレンスでは除外目的なら感度をあげる必要があるだろうと言われ、研修医もどうすればよいのかわからなくなっているようである。



要するに、否定することが目的の疾患なら「どのくらい」疑っているかが必要であり、「思いついたから」という基準では、一貫性も科学性もなく、教育性もない。

想起を促すものには 血圧が低い?高い?胸痛 ,Ⅱ Ⅲ aVf などがあるが、どれも感度、特異度の高いものではない。

そこを赤信号みんなで渡る的に理由が明確でない検査 をゆるすことは病院のレベルをも止めることになると考える。

否定するためにはどれほどの情報がそろえばよいか?そんなものわからない。結局その場の担当医の判断なのだが、検査のリスクとのトレードオフをするからには「どのくらい」疑っているかが分からなけれできない。ステレオタイプの思考では、医療安全的な要素があるように思われるが、それは医師の思考を蔑んだものと考えるし、若い医師の成長を妨げるものと思われる。

致死的な疾患を見逃さないという厳しさもあれば、出きる限り自分で判断できる医師を目指すという厳しさもあると私は考える。それは、すっきりと表現できない分、タブーのように扱われていたりする。



「血圧左右差もなく、年齢も48才、Marfan体型もありませんでした。症状も以前からあり、労作で悪化安静で悪化するということを繰り返し、今回はその症状が安静で収まらないので来院したという、いかにも心筋梗塞と思われ、解離は否定的と思われたのですが、どうしても心配でCTを撮りました。」という理由をわたしは 否定はしない。しかし、解離が否定できないなら撮るしかないでしょう!という発想は、診断学の崩壊である。また、いずれにしても、単純ならば、ただの「免罪符」やるなら造影という「覚悟」が必要ではないだろうか?
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