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診療日記9月20日 [指導日記]

先のヒアリングで数字としてあがってこないのであればその仕事内容を報告せよとの命を受け、これ幸いに自分のしていることを文字におこしています。わたしの一つの目標である「教育の大切さを認めてもらう」に少し寄与するのではないかという期待からなのだが、なかなかこれが、手間で、でも大変自分のために役に立ちます一つは時間が空いた時休もうとする自分を制することができる。2つ目は自分が何を言ったかを健忘録としてのこせる。3つ目は自分のやろうとしていることを再認識再評価できるということです。

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三木 院長先生御侍史

 

外来入院を増やす方向で現在動いております。以前から考えていたのですが、いい機会となりました。

依頼いただいた日中の研修医に対する仕事を自分への振り返りの意味も含めてまとめてみました。

松下拝

 

2017/09/20

6:33【出勤】救急からの入院の予習(本日は内科入院1名)

それについてミニレクチャーできることがないかを探す。

6:50本日のロールプレイ患者役であるため予習をする

7:00 【ロールプレイによる外来診療の指導】

研修医(久岡先生)とビデオに撮りながらロールプレイ

腹痛胆石の患者

途中でとめて 問診のBaseになる質問をシステマティックにおこなうことで、時間が短縮され、また鑑別も狭められることを説明。

(昨日はOpen Questionの必要性を再三伝えたにもかかわらず出来ていなかったため、Open Questionをおこなう長所短所についてまとめてくるように言ったところ、どのような長所があったかという英語の文献をしらべてきていた。かなりバイアスのかかったstudyではあったが、ここまでするとさすがに今朝はOpenQuestionで開始するようになっていた)

朝のロールプレイはもちろんいかに医師中心の質問をたくさんして診断をつけるかということに充填が置かれるが、くせというものは最初につけないといけないので、むしろこちらのほうが大切と考える)

ロールプレイは切り上げて説教にはいる。

昨日勉強して、いかに検査前確率が大切かということを学んだはず(2時間以上かけて)だが本当ににはみにしみついておらず、実践ではどのように使われるのか?

実践で特異度100%の検査などほとんどない!検査を選んで答えを待つ!は間違いという話を(再三しているが)また話す。

そのあと、今日のケース 胆石症をどのようにエビデンスを使って診断するかを用意したスライドを使って説明。※資料1

7:30~8;00

【研修医同志の勉強会】今日はこの文章を書くため出席せずこの間に他科先生からの相談2つあり。一つはステロイドと生物学的製剤を使っているヒトのβDグルカンが高かったのだがどうすればよいか?という質問。ステロイドの量は少なかったのでラボエラーの可能性をしてきしつつ基本的には経過観察PCPへのコントロールとしてのChestXrもしくはCTは施行してもよいかもとお話した。

もう一つは、以前から依頼されている肺癌脳メタ疑いのヒトの相談、こちらは確認程度。

8:00~9:00【ERカンファレンス】ER入院した患者のプレゼンを研修医全員と指導医の前で行います。

 

検査の正しい適応や抗生剤の正しい使い方を教える、ことなど正しい診療とはいかなるものかをメインに伝えたくて、毎朝カンファレンスに1時間出席しています。努力をしています。残念ながらまだまだ正しく伝えられていないかもしれませんが、少なくとも保険で切られるからCTを制限しろだとか、ただ、広域の抗生剤をなるべく使わないという注意喚起では研修医を混乱させるばかりで、医療の質を落としかねません。

教育病院にとって研修医の教育はもっとも根幹となすべき重要な課題だと信じており、たとえ数字に挙がらず、認められなくても続けて行くつもりです。

今日は入院患者はひとりだけだったので、右室梗塞についてのミニ勉強会のようにした。

「胸部症状、徐脈とくれば」→右冠動脈を考える

MIを考える時は必ず動脈解離を否定をすることを思い出すため血圧左右差と胸部レントゲンを気にする癖をつける。

AMIの患者のもとを離れてはいけない。

右室梗塞を考える時には右側誘導の心電図もとる。

MIを疑ったとき聴診を忘れないように。

MIが不整脈を起こす原因は?

など、何度も繰り返していることの確認をおこなった。

8;30~9;00

【研修医カルテチェック

今日指導したことはプロブレムリストの順番の入れ替えができていない。

入院患者のS)がpoor過ぎる。 入院患者のアセスメントは決まっているので経過をみるのがメインとなるが、そのためになにをパラメーターにしておくかを明確にすることが重要。S)も例外ではない。よってプロブレムリストから想起する習慣をつけてほしい。

 

9:00~9;30

通常の回診

患者さんが少ない時は、じっくりと診察できるカルテ業務に関しても、ほとんど研修医にさせてチェックするという二度手間を踏むこともでき、それにより研修医の自立性を高めたいと考えている、そのためできるだけチェックしていないそぶりをするように心がけている。

10;30-11:30

【グラム染色の勉強】資料を私後の実習をより効果的に行うために1時間くらいでグラム染色について個人勉強していただく、※資料2グラム染色

そのあいだ自分は研修医へ向けての勉強スライドを作成した

【細菌検査室実習】

グラム染色特に質のよい検体に対しての認識を高めるには検査技師の仕事を一緒にこなすのが一番と考えている。毎週水曜日には細菌検査室に赴き1時間程度ではあるがお手伝い(むしろ邪魔かもしれないが)をしてもらっている。

【食事】11:30 ~12:15

【ランチPBL】12;15~12:45

片山先生が行っている症例検討会本日は検査で抜られなかったため代理で進行

30才女性 主訴下痢 から鑑別を挙げてもらい、どのような施行過程で診断にこぎつけるか+関連した事柄をレクチャーする。実際はファシリテーションすることにのみ意味があると信じますが、ちょっとしたうんちくも彼らを引きつけるよう。別に自分を偉く見せる必要はないのだが、それで話を聞いてくれるのならその方がよいという理論もある。

【食後レクチャー】食後眠くなるまえに15分から30分レクチャーを行う。※資料5下痢プリント

本日はやはり下痢の話、先ほど話した内容をもう一度間違っていなかった資料で確認しながら話したが、案の定菌の名前をすでにわすれられていた。

【課題Uptodateより】肝癌の項目を読んでまとめてきてもらう。※資料4UpToDate

13:00~14:30

その間、症例からクリニカルクエスチョンを見つけ出して、解決するスライドを政策

15:00~ 中村先生と面談

16:00~ プレゼンテーションのロールプレイ。※資料5シナリオ

情報収集から検査にいたるまでの過程の思考が3年間言い続けても、なかなか伝われないため、ディベート法を取り入れてみた。

Dダイマーをルーチンではかりそれをよりどころに肺塞栓を否定するというプレゼンを研修医にさせて、その思考の間違いを正そうとする。研修医は絶対に折れないようして、反論するなかで説得する要素が増えていくというもの。今の研修医はこれを気に入ってくれていて、これが彼らの指向の変容になることを祈っている。


 

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課題の分離 [指導日記]

最近研修医と研修のあり方と教育法について話しました。研修医は教育者を選べないのでどうしても今の環境に対する評価になってしまうのだが、自分的には、私「知識を教えることなど限界がある、医療を行うための方法を教えたい」研「それって言葉で伝わるものではないでしょ?」私「そうだな、だからこそ診療のなかで学びとってほしい。」研「無理でしょ、そして無理なヒトは切り捨てるということですよね。」私「無理なら無理でしょうがないと思う、そこはよい大人なのだから課題の分離と考えている、さっきも君が言ったように言葉でいってつたわるものでもない。」


というような内容でした。方法とかプロフェッショナリズムだとか言葉で伝えようとした方がむしろ逆効果であることもあり、臨床を一緒にするなかでどこかにピンときたものがあったりその時は感じなくてもあとで思い出したり、ということを私は一番期待しているのですが、(彼らが言うように)なかなか伝わらないという自覚も確かにあります。


 


もちろん本人も基本的人格が大きく影響するのですが、自分自身の中から自分のスタイルを見つけていくヒント、もしくはいかにもんだいを解決するかの方法のヒントが与えられたらと考えています。


研修医は武器や、アイテムをもらえなかったという不満足感を抱くかもしれませんが、それこそ、そのアイテムを自分自身の中に完備する方法自体が今後彼らが自立していくための武器だと考えています。


 


 最近あった例からこのことを考えるヒントが得られるかもしれません。


 34才男性  伊東仙太


【主訴】発熱 咽頭痛 嚥下時痛


【現病歴】


生来健康 3日前より咽頭の違和感あり、37度の微熱あり。市販薬イブAにて対応していた。


2日前も倦怠感あったが仕事にいった。トローチにて対応していたが、咽頭痛は軽快しなかった。


本日咽頭痛が増強し来院。


唾液を飲み込むのも疼痛がある。


今回は左あごの付け根のあたりに違和感がある。 口内炎のようなものがのどにできた感じ。


鼻汁なし 咳嗽なし(咽頭違和感のため咳払いはあるが、咳はなく痰もからまない。)呼吸苦はなし


水分はとれているが食事摂取は困難。


sick contact】なし インフルエンザなし 2週間前に姉夫婦がインフルエンザ 


【既往歴】咽頭扁桃炎 アトピー 手術歴なし


【家族歴】特になし 内服歴なし


【生活歴】喫煙:15/×年、飲酒:なし


【アレルギー歴】薬(-)、食物(-


【現症】180cm95kg


意識:JCS:0、GCS15456


BT38.3℃BP139/76mmHgHR114/minSpO298%、RR:回/


(頭頸部)項部硬直なし jolt 陰性 neck flection陰性


眼瞼結膜:貧血(-) 眼球結膜:黄染(-)


瞳孔:正円同大、左右差なし 


咽頭:発赤() 口蓋垂偏奇(-) 扁桃腫大は軽度 明らかな白苔なし 頸部リンパ節:腫脹()、圧痛(+左顎下部~前頚部) 頚静脈怒脹(-)


(胸部)気道狭窄音なし


呼吸音:清、crackle(-)、左右差なし、努力様呼吸(-)


心音:regular-)、-)、no murmur 


(腹部)手術痕(-)、腸蠕動音→ 平坦軟、圧痛(-)


(四肢)下腿浮腫(-)、四肢冷感(-)腋窩乾燥-CRT2


#咽頭扁桃炎


 発熱 咽頭痛 嚥下時痛を主訴に来院された。呼吸苦症状なく、急性喉頭蓋炎は否定的。


頭痛なく項部硬直なく髄膜炎も否定的である。


center criteria3点であり、上記と判断。以前にcenter criteria4点の扁桃炎罹患もあり、抗生剤と鎮痛薬にて経過を見ていただく。扁桃炎に関しては5日以上の抗生剤投与が必要であり、近医かかりつけの耳鼻咽喉科を受診するように説明した。扁桃周囲膿瘍や喉頭蓋炎といった頸部症状がある疾患もあるため呼吸苦が出現した場合はすぐに来院いただくように説明した。


サワシリンが3日分とロキソニンが処方されている。


 


 

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腎盂腎炎なんだろうな〜 [指導日記]




90才女性
【主訴】起立・歩行困難

【現病歴】普段は杖歩行できていた。
1
/30 16時 デイサービスから帰宅するも特に問題なかったとのこと。
19時 食事摂取量低下あり、また食後も立てなくなり、横になったままだった。起こしてくれというが、起こせなかったが経過観察した。
1/31 起床後も症状継続するため救急受診  
最近は転倒が多くなってきたとのこと。食事、水分はとれてる様子。
ROS:(-)頭痛、咳嗽、喀痰、咽頭痛、腹痛、下痢 (+)尿量増加

【ADL】杖歩行、トイレ、食事、着替え、入浴介助。軽度認知症(時間見当識(-)etc)
【既往歴】高血圧、痔 入院歴なし
【内服歴】ヘルベッサー、バルサルタン、便秘薬
【アレルギー】不明
【生活歴】 暮らし:息子夫婦と孫と4人暮らし

【身体所見/バイタルサイン】
JCS 3 GCS 14
E4V4M6
SpO2  96% (r.a.) RR 21 BP 175/92  HR 92 BT 39.3
頭頚部:リンパ節腫張なし、咽頭発赤・扁桃腫大認めず、
胸部:肺音 呼吸音 減弱/増強(-) 左右差(-) crackle(-)/wheeze(-)
腹部:平坦軟、蠕動音→、圧痛無し
背部:CVA叩打痛なし
神経:粗大な四肢麻痺無し、従命可能
【検査結果】
インフルエンザ陰性
胸部X線:明らかな異常陰影認めず。CP angle sharp/sharp
生化学/血算/凝固WBC/CRP = 18800/19.2 MCV = 95.1
Hg/RBC/Plt/Hct = 11.9/3700000/136000/35.2 
Na+/Cl-/K+/Ca2+ = 138/100/3.6/8.9
BUN/Cre/eGFR = 20.7/0.80/50.5  T-pro/Glu = 6.8/142
T-Bil/AST/ALT =1.15/28/12
LDH/CPK = 289/235
APTT/INR/D-dimer =
29.1/1.07/3.78
尿検査WBC 2+ 亜硝酸 - 潜血 2+ 
腹部エー:腎盂拡張認めず
腹部CT:腎盂拡張、閉塞機転無し
尿Gram:陰性桿菌(莢膜有り/なし。両者有り)、白血球多数
【A/P
#腎盂腎炎
病歴、血液・尿検査の結果と他に感染のフォーカスがないことより尿路感染症と診断した。腹部エコー、腹部CTより閉塞機転はない単純性と判断。尿Gram染色にて陰性桿菌(莢膜伴うもの、伴わない物混在)を認め、E.coli、Klebsiellaと推定し、セフトリアキソン1g q12hにて入院加療の方針とした。


ひとことアドバイス


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共通テーマ:健康

診断法とジレンマ [つれづれ]

診断法ってなに?
患者の背景にあるもの。今の症状、とその経過、身体所見、それらがその疾患にどれほど関与しているかを知った上で情報を統合して考える。
情報が少ないほど鑑別は広がる。
パターン認識が時として強いこともある。
これは、頻度の高い疾患でそれらのことが同時に起こることは他の疾患では稀。という場合にこうをそうするだろう。

主訴からの診断はシンプルな疾患や、症例検討では有用であろうが、その主訴に惑わされ、診断に行き着かないこともある。

鑑別をたくさんあげると結局どれも否定出来ないという罪悪に陥る。

死ぬかもしれないのであれば、その鑑別は全て検査すべきということになる。
しかし、また検査の合併症とその疾患の確率の低さとのトレードオフになってしまう。
それを理由にしても死んでしまえは施行すべきだったことになる。

逆に待てるのであればできるだけ侵襲の強い検査は避けるべきであろう。リスクベネフィットのトレードオフいうのは簡単だが、周囲が何に対して寛容か?ということも残念ながら大切になる。つまり、常に確率でしか語れず、結果を100%予想することはできないからである。
周囲というのは多くは患者や患者家族、もしくは他の医療関係者も含まれるかもしれない。最悪裁判になった場合は公けにということか。

肺炎とわかっている人を喀痰を採取する努力を怠ってCTを取るということはどういうことだろう?綺麗な喀痰が取れることと、CTで肺炎を”評価”することはそれぞれのベネフィットを比較すると前者が明らかに高く。もちろん患者にとってのベネフィットである!ではなぜ前者を怠り、後者を優先することがあるのだろう?
おそらく、医療者の行為としても損失を重視するかではないだろうか。
それも、医療者で医療者優先のルールを作ってしまっていたりすると、怒りを感じざるを得ない。
では肺炎のようだが、単純の胸部レントゲンではっきりしないので胸部の単純CTを撮った!肺炎像あり、治療した。
というのはどうだろうか?
胸部のCTで肺炎像がなかったら、どうするのだろうか?それではやり、臨床的に気管支炎もしくは肺炎の影が出てくる前だからそれなりの治療をしますであれば、このCTはほとんど、医療者のスッキリするもしくは安心するというベネフィットにしかなっておらず、単純だからそれほどリスクになっていないということに助けられている。
肺炎像ななければ他の熱源を改めて探すというのであれば、CTを撮った意味があるであろう。
救急室ではできるだけスムーズに診療が行わなければならない。
CTを撮って帰ってまたCTそしてダメなら今度は造影などとやっていたら仕事が煩雑になり過ぎて、下手をすると他の患者を見る力落ちるかもしれない。そういった意味では喀痰の採取ほど医療者の労力を時間が必要な手技はないかもしれない。
そんなわけで、忙しかったからグラム染色はしませんでした。といういいわけがまかり通る。
ただしそんな人は時間があるときもすぐにCTを取ることを私は知っている。








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怒る教育 [つれづれ]

ずいぶん前、研修医反省会にて先輩に怒られたので私は成長できました。という意見がとても多かったことに驚愕した覚えがあります。あの時、怒る教育に反旗を翻していた時期だっただけに尚更でした。

厳しく指導とはまた別の話なのかもしれないが、それすら私は拒否したい。それは、 課題の分担と思っているから。自分のことは自分で育てるべきで、モチベーションまで責任は取りたくないと決めているから。



そういう反面、スポーツでコーチのもっとも必要な側面はモチベーションを高めること。なんていう話に賛同したりもしている。



また 事実、戦前戦後の日本水泳があんなに強かった原因が スパルタ的な指導が原因だったのだろうと思うし、(岡ひろみのような素直な人が伸びた時代?) その後衰退した理由もまたそのスパルタ教育によるものだろうということを目の当たりにした自分もここにいる。周囲の環境が最も影響力があるということか? 。。



では、最近の私は なぜ怒ってしまうのか?やはりそれは、こうさせたいという欲からくるものであることは明白なのだが、同じ内容を 1ヶ月言い続けて、それでも違う方法を取られる、で、今までは柔らかく言っていたが、強く言ってみる。すると翌日からできるようになる。

このことも、事実の1つである。



本当にこの方法が利益があると考えたら、自ら変えてくるはず。という彼に対する構想と実際のギャップに、わかったと言ったじゃないか!的な要素も加わっているのだらろうが、、



冷静になって考えてみると、自ら行わないということはやはりきちんとわからせていないということに気づく。

力ずくで従わせても、結局は身につかない。怒り損怒られ損どころか、怒り加害怒られ被害である。

動機すらくじくことになる。

あんまり根気よく、繰り返していても、耳にタコつまり思考制止になる。



わざわざ失敗させてほうらねというのもまた抵抗力を作る。



ここでの解決もやはり、聞くことなのだろう。相手を知らずに、わからせることはできない。これは世の常。

結局自分にできることは、悪い環境にしないことぐらいなのかもしれない。

対人的には対等に付き合うこと。(これがなかなか難しい)

最近は何かを掴んだ感じを得てもらうとしているが、これすら自分のためなのか彼のためなのかわからない。



そんな改めて成長していない自分を感じる今日この頃。
















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アメリカ医療の影 [今日の出来事]


いつも思うのだが医療職は子育てに似ている。24時間365日 患者に病気を人質にとられ、偉大なるNatureのようなものの責任を負わされ、常にビクビクしている。違うところは見返りの大きさだけかもしれない。
今日の若い先生の講義は、ある意味医療者対患者サイドの” 戦い’” の話とも取れた。

患者からしたらいつも寄り添ってくれる医師がいて、最高の医療と思えるものを受けたい。しかも出来る限り安く。

医師も人間であり、自分たちの生活を保障できなければ医師そのものになろうというひとも減るだろう、やりがいやオーナーだけで優秀な人材が集まるほど 今の世の中は甘くないような気がする。

アメリカ人は合理的だ、患者のために自分の人生をささげたりはしない。時間とお金どちらも犠牲することがないシステムを作ることで、患者側に勝利しているように思う。グループ診療と専門化で責任分担を図り EBM にてNatureの不確実な部分を訴訟から守っている。早々に引退してすごい年金で余生を送る人もいるらしい。 患者側は金銭的な負担という意味で敗北しているのではないだろうか。
医療自体がよくて、教育がよかろうが、お金が払えない人が医療を受けられないもしくは家を売らなければいけないようならこればよい医療とは決して言えない。

日本は逆で、皆保険で皆が平等の医療費、医療の不要な人がドンドンと病院を訪れ、テレビまでもが、小さなリスクを理由に受診を勧める。医師の労力は、本当に 必要な方向のみには向かえなくなり、
わずかな可能性のためによい医師患者 関係にフォーカスせざるをえなくなる。医療は常に結果と納得のジレンマを抱えている。そして夜中の 無意味なコールにさえ、じっと我慢して受け続けている。おだてなれながら、中途半端な高収入と労働を考えると 、いわゆる”負け組”である。 (実際は年功序列的に仕事量をシフトすることで、なんとかしのいでいる場合も多いのだが)意外と劣勢であることを知りながらも、この職業で得られる自己の成長と、自尊心と、承認欲求 を得ることに満足しているのが日本の勤務医なのである。



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 ハワイ第1日 [今日の出来事]

ハワイ第1日はレクチャーのみであった。

最初の女性の先生の話は、
女性がいかにしてアクティブに海外で医師としてはたらけるか?
彼女は研究が好きといっていたが、実際アメリカにおいても臨床をしながら子育ては難しいのかもしれないと思った。本気で人生の充実を考えるなら。
そういった意味では人生自体もめちゃ充実しながら思ったような家庭を築いた彼女のバイタリティ はずばらしい。ひとつ彼女が得をしていたのは帰国子女ということでひとつ大きな城壁が低かったことだろう。

そういった意味では日本人が国内に留まりたい理由として言語の大きさと英語教育のイマイチさをまたここで感じることになった。

その次の男性の若い先生の講義もとても好感がもてた。内容は、アメリカ教育と日本の教育の比較がメインであったが、彼はアメリカ、日本にこだわらず、どのような教育がよりよい医師を作っていくのか?ということを真剣に考えているように思えた。
その証拠に彼の今回の講義のゴールが講義することでも自慢することでもなく、何かつかんでもらって帰ってもらう。ことに重きをおいていることが伝わってきたから。
おそらくかれは患者さんに対しても、レジデントに対しても同様の意識で望んでいるのだろうということが容易の想像できる講義であった。

それにしても日本人ときたら、質問に対して、出題者の意図読み過ぎ感をとても感じた。ここにいる若い医師達は野口の説明会のように、”アメリカ行ってやるぞバリバリ” でない人たちではあったが、最後の町先生の講義は部屋全体がアメリカでレジデンシーもいいかも的な空気を作り上げていた。
それは、アメリカいいよ!ではなく何がいいか悪いかということと客観的に分析していたこと。そして、アメリカの教育のシステムのみならずエネルギーを感じたからだろう。
日本で「あそこは三次救急はやってないから」などと言っている人に聞かせてあげたかった。
町先生はart面の教育をかなり強調されていた。誰かが人間性としてやどるものなのか?訓練でみにつくものなのか?といっていたが、僕自身は目的をはっきりさせることだと思っている。説明すること、とか、手技をうまくやること、検査をうまく選ぶこと。を目的としているような空気が病院中やグループの中に漂えば、どうしてもそこに向かって懸命になる。最終的には患者や家族のhappinessであることの共通意識を持っていればおのずとartは生まれてくる。というのが私の持論だ。

にしても 特に医学の世界ではどこでもspoon feeding or autonomy は永遠の課題とも言えるが、その中からうまれてきたのがfacilitateという言葉なのだろう。

本日キーワードは
GME graduated Medical education
Autonomy
Flat world
competency

patient care
Medical knowledge
Practice Based Learning and improvement
System Based Pracitce
Interpersonal and Communication Skill
Professionalism


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誰のための診療? [今日話したこと]


患者さんは高齢コミュニケーションは何とかとれている。寝たきり患者は家族の顔をすでに認識できなくなって5年以上になる。
肺炎で入院してきたのだが、我々の仕事はもちろん肺炎を治すことであるが。どうして一抹のむなしさが残るのだろうか?
高齢者は難しい。一つば御本人とコミュニケーションをとれないことが、医師のモチベーションをおとし、また誰も口にできない、この人は生きていて幸せなのだろうかという漠然とした疑問がさらにモチベーションを落とすことになる。それとも若いDrは何の疑問も持たずにただ、患者の為になることを行っていくのだろうか?そしてそれは、よいことなのだろうか?私はむしろそこに一抹の不安を感じる。

我々に仕事はいったい何のためにあるのだろうか?もちろんカケガイのない命を守ることなのではある。それはとてもシンプルで、誰も異論を唱えることができない。
では、生きているが故に不幸な場合はどうであろう。借金で首が回らなくなり、家族の為に保険金ねらいで死を選んだ人はどうだろうか、これは我々には判断できることではない。それこそ黙々と命を救う努力をするのみである、それが、もしより家族への負担をかけることになったとしても。

では、乳母捨て山についてはどうであろう?もし昔の日本人が子供達の迷惑になるのであれば自ら死を選ぶということが形を変えて現在おこわなわれていたすれば、それは寛容できることであろうか?答えは否である。

というわけで我々な漠然とした疑問も感じながら、老衰と病気の 狭間の人を診ているのだろう。
ただ、誰のためか?と言われるとこれは患者本人よりも家族のための意味合いが強くなる。つまり、家族の人が経済的にではなく、心理的に安らかに家族の死を向かい入れていく過程を作ってあげることが重要なのではないかと思う。これは我々に命に対する限界へのいいわけととらえられるかもしれない。しかし、我々は微力である。高齢者診療は自分たちの無力さを思い知らされるということろも、敬遠される理由の一つかもしれない。我々もその、死を受け入れる必要があるのかもしれない、でないと逆に家族に期待を抱かせた上に最終的に、疑問に変わったりすること起こり、これがもっとも家族にとって不幸なのではないかと考える。
保険のためのDNARではなく、家族が受け入れたことの結果としてのDNARでなくてはならないのだ。
無力な我々は、家族の患者の死後の思い出のために私たちはする事を考えるのだ。

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超個人的循環器フィジカル講習会で学んだこと。 [つれづれ]

左房左室 拡大はエコーで見落とされることがある。うんいつかエコーに勝ちたい。
肺高血圧で2音分裂があるのは PEくらい? そうなのか?COPDでよく聴取するが、、

MR 後尖逸脱はASに似ているというが、頸動脈で判断するから、あまり間違えたことはない。

オースチンフリントは聞いたことがないがグラハムスチールをARと言い放った苦い経験を思い出した。(同じ経験を講師の先生がされていたので少しホッとした)

S1後のESはやはり難しいらしい。ここ1年で到達しなかったが、またトライしよう。

MSは1度厚木で診断した以来ないなー。済生会で1度空振りした。
ゆでガエル症候群とはいったものだ。(笑)無症候性重症度に注意だな。

AAA 70才以上の9%クワバラクワバラ。症状なくても触るようにしよう。ましてや腸骨動脈の瘤は触ってもわからんかもしれない。

apexの拍動は触れないことが多い!(コンスタント先生の本には座位で50%とあったが、)よくぞ言ってくれた。しかしRpid Filling Waveは触れたことがない左側臥位にしてでも触れるようにしよう。
討論と 議決と対話 問診はそのどれでもない。そしてそのどれでもある。

タンポナーデにクスマウル兆候はでない!そう言えば去年も同じことを言われたが忘れてた。
逆に重度のTR 右房腫瘍(笑)で陽性。

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私が患者を断らない3つの理由 [つれづれ]

わたしが私が患者を断らない3つの理由。

勤務医というものは基本的にいくら働いてもあまり給料はかわりません。

診る患者が医療者にとって質(?)が高く、数は少ない方がよいというのはごく自然のふつうの発想だと思います、かくゆう私もそういう感じる人間です。

ではなぜ私が意固地なまでに患者を断らないと言い続けているのか?

1つはそれが医師としても使命だと思うからで、それはほぼすべての医師に共通することでしょう。

もう1つは自分の人生を汚したくないという潔癖性的な理由です。これは患者からモノを受けとらない。中途半端で組織をやめない。というものにも共通しています。

3番目高齢者社会に向けてすべての医療者が高齢者医療をシェアする必要があると考えるからです。「譲り合えばあまる奪い合えばたりぬ」の世界を夢見るからにはまず自身がという考えてやっております。
そして自身がそうすることで、何らかの影響を若い医師に与えられないかという想いからです。自分の体力もいつかは限界がくるでしょうが、「自己犠牲的精神」は言葉で伝えられるものではないと考えています。
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